”お金”
お金というものはなんなのか。
いかにもこれ無くしては息も出来ないように思わせるもの。
文明の枠内では確かにこれ無しでは何も経済的活動は出来ない。
しかし、忘れてはいけないことがある。
お金という存在そのもの自体。これは、人間がつくり出したもの。
人工=不完全。これは東洋文明はもちろんのこと、西洋文明の基盤となった古代ギリシャ文明等、地球上のあらゆる文明世界で賢者、識者たちが唱ってきたことである。
今日、クレジットカード等、またインターネットの台頭により著しいスピードで電子化しているお金だが、その歴史を少し辿って見よう。
現代文明においては、お金は科学の著しい発展により使用が可能となったElectronic
Currency, つまり電子通貨と紙幣、貨幣を平行して使用している。
近代では紙幣、貨幣、そして金銀等貴金属が同時に扱われていた。
1、2世紀さかのぼった日本を見ると、当時の封建社会では金銀貨幣、そして米。
石器時代には石。これらは「物品貨幣」と呼ばれる。
そしてさらに古代まで遡れば、ほぼ世界中で物々交換が行われていたようだ。
物々交換は同等の価値の反映、所有者の発見が難しかったため、時が経つにつれて物の価値を数値化することで平等な取引を可能にした「貨幣」が台頭してきた。
ここで、お金という存在の発起点が物々交換である、ということに注目したい。
あえていえば、本来お金というものは、人々が生活(有史以前において、おそらくは生存競争、サバイバル)をしていく上で必要な物を象徴していたのであろう。
時代は流れ、文明が複雑に発達するにつれてお金が何を象徴しているのかが
ハッキリと分からなくなってきている。
今でこそ高度に複雑化した文明だが、始まりを見てみると比較的小規模、かつあくまで単純な構造で成り立っていたことは容易に想像がつく。
僕個人の観点で恐縮だが、一件複雑に見える物でも、時間を巻き戻してみれば必ずと言っていいほどその構造、発展の過程を分析できるのではないかと想う。
生物とて、今でこそあらゆる複雑な生態系が気の遠くなるような進化過程を経て存在しているが、現在最有力説であるダーウィンの進化論からも見られるように、その始まりは単細胞生物、いや、原子レベルの物質に帰着する。
お金はどうして生まれ、どういう進化過程を経て現在に至っているのだろうか。
さらに時間を遡って見てみよう。
文明が発達する以前の日本で発祥した縄文時代を例に挙げよう。
この時代、人々は大きな組織を組まずに家族単位で狩猟採集をして生きていた。
人々は彼らの安全を確保、保全するための文明組織が存在しなかったため、生存するためには自分らの身を以って衣、食、住、を確保せなければ成らなかった。
おそらくは生存していくために四六時中肉体的活動に従事していたのではないか。
文明という安全地帯がまだ存在していない代わりに、お金というものも存在していなかった。病院、医者、そして薬品もまだ存在していないため、死ぬときゃ死ぬ。生き残れば生き残る。完全に全て自己責任、その日暮らしの世界。
これはまさしく縄文時代以前、知られている限り原始の遥か昔から全人類が生き抜いて来た環境であろう。
時代は進み弥生時代になると、人間は農耕をする事によってその日暮らしの生活を捨て、
支配者が頭脳となり、他は手となり足と成ることによって組織化し、
役割分担をすることにより安全地帯を作り出した。
農耕により食料確保を可能にし、文明が誕生した。
この文明化の過程は、その日暮らしのサバイバルを何千、何万年と繰り返した結果、食料の農耕、貯蓄をすることにより、人が思考の中で”時間”というものを操作する、ということから始まったのではないか。
農耕、また食料の貯蓄(高倉倉庫の使用にみられる)が可能となった事で、今日だけでなく明日、来週、来月、来年というふうに未来を考慮し、生命維持を計るようになったのだろう。
この未来を想定した食料確保によって人口は増加し、
その後文明は拡大、徐々に豊かになっていった。
支配者は創造主もしくは神の名を語り、文明内で生きる人々を支配し、労働に従事させることによって
文明全体の生存を確保する事に尽力した。
実際に文明という安全地帯内では、サバイバル率がその外部で生きる人々のそれを上回っていた事は確かだろう。この観点から、支配者への信頼が成立され、次第に支配体系が確立していった。
コンクリートジャングル、という言葉がある。
我々文明人が住まう都市は、自然界をモデルにコンクリートで築きあげたジャングルようなものである、という意味の言葉だ。
文明とは、もともと自然界で行われて来た生存競争を人間がバーチャルに複製したものなのではないか。
ここでもっとも注目したいのは、
”時間”である。
お金がおともと象徴していたものは、人間の生存に必要な物であった。
衣、食、住。これら全て時間が経つに連れて失われていく「物」。
食料は腐敗し、衣料、そしてまた住居も消耗していく。
現代の様に科学が発展していなかった当時、これらを保存するという事は非常に難しかったはずだ。
考古学でよく行われる放射性炭素年代測定法からもみられるように、
現代科学の発見によると、存在する全ての物質は”時間”とともに消耗していくと言う事が証明されている。
逆に言えば、この世の全てが”時間”というものによって消耗されていくということだ。
何人、何物事も”時間”の淘汰からは逃れられない。
そう、もうお分かりだと想うが、人間の作り出した”お金”が不完全であると言う証拠である。
なぜならお金には時間軸が存在していない。
自然界の複製を象徴するべき “お金”。
時間が経過するにつれ減少していかなければならないはず。
でなければ「お金」を生存競争の基盤として動いている文明内でおこっている不平等、また人の死を正当化できない。
この欠陥が原因となり格差が生まれてくる。
たとえ支配者はなにもしなくても支配者で有り続けられる所以である。
お金が諸悪の根源と言われる理由はここにあるのではないか。
人智を遥かに超える叡智によって、
自然界において花木は咲き枯れ、海洋の潮は満ち引き、日は昇りまた沈み、晴れる日があれば雨の日があり、これらは悠久の時を超え繰り返し続ける。つねに変化し続け、決して停滞はしない。
なぜならこの世のすべては”時間軸”をもとに動いているからだ。
これはアルバート=アインシュタイン、スティーヴン=ホーキング博士らをはじめとする歴代の科学者たちの発見により、現在一般的に受け入れられている宇宙論学、物理学、量子力学でもテーマになっていることだ。
人は習慣に飲み込まれる生物だと想う。
時間を操る、という考えに取り憑かれた人間は時間を止めようとやっきになってきた。
「時間を止める」ことで老化を遅らせ、医学の発展により「死」の訪れを遠のけることで
もっともっと長く生きようとする。その過程で「死」というものの齎す恐怖心、不安感をかき消すかのように物質に執着していく。そして現在ほぼ生活していくなかで使用する物質すべてに値段がついているために、自然とお金に執着していく。
もしお金が我々にとってそれだけ重要な存在ならば、
是非、時間軸をあたえてみてはどうか。
そうすれば、変に不公平なことや、理不尽な事、言い方を変えれば人工物の生む不完全な部分がなくなり、すべては時間、つまり自然界の法則にまかせる、という本来の人として眞に意義のある一生を送る事ができるのではないか
人は自分の意志で変えられる物はどこまでも変えてゆきとどまるところを知らない。
整形手術をはじめ、遺伝子組み換え、クローン作製、そして原子力発電など、もともとは人類の発展のため、また人命を救う目的で生み出された技術も、「死」を受け入れられないが為にとどまるところを知らず暴走しているように想える。
自身の一生の長さが人工物の存在をもとに決定される。これはなかなか納得がいかないことだ。しかし、これが「自然界の意思」により淘汰される、となるとどうか。
昔から「神のみぞ知る」というように、これは素直に受け入れざるを得ない。そしてこれを受け入れる事こそが「人の尊厳」というものなのではないだろうか。
なんてね。
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